アコーディオンの歴史

~ 故 渡辺芳也 著「アコーディオンの本(春秋社)」より抜粋 ~

 アコーディオンはリードを空気で鳴らして音を出す楽器である。このリードは、厳密にはフリー・リードと呼ばれる。ヘラのような金属の舌(リード)が片側でプレートに固定され、もう片方はフリー(自由)に風の力で動くからである。この原理は、中国ではじめて笙に採用された。今から2500年ほど前のことである。そもそも、この笙の原理にどのように辿り着いたかは不明であるが、案外、竹でできた口琴がヒントになったのかもしれない。この口琴はアジア、ポリネシア地域に古くから広まっており、日本でもアイヌの伝統楽器として知られているムックリが仲間だ。ムックリは竹の切れ端一本から成り、ひもを使ってリードの部分を鳴らし、口にくわえてその大きさを変えながら音を出すが、同時に息を吹けば強い音が出る。いわばハーモニカの原型であり、これを金属に変えればフリー・リードに似てくる。笙の発明者は、この発想でリードを竹の筒に埋め込み、楽器を作ったのかもしれない。笙は日本に渡り、雅楽に使われるようになったが、もっと原始的な形で、ソンポトン(ボルネオ)やケン(ベトナム、ラオス)、そしてノー(タイ)という楽器も使われている。
 笙がヨーロッパにはじめて現われたのがいつ頃かは不明であるが、今から350年ほど前の文献にはすでに紹介されている。おそらく、シルク・ロードを通ってヨーロッパに辿り着いたものと思われる。一説には、マルコ・ポーロが持ってきたともいわれている。この笙は、多くのヨーロッパ人の興味をさそった。特に物理学者たちは、この楽器を使って音響効果の実験をしたり、リードだけをバラして音を研究し、”パパ”とか”ママ”とかいえる機械を作る人もでてきた。1780年前後のことである。

 (中略)1815年頃になると、金属製のリードを使い、足のふいごで風を送り鳴らす、いわゆるリード・オルガンがヨーロッパの数々の楽器製造家によって作られるようになった。名前もさまざまで、ウラニオン、アニモコード、フィスハーモニカと、思いつきのままつけられていった。ただ、共通して言えることは、誰もが小型で、小さなオルガンのような機能を持ち、なおかつ、歌うがままに音に表情をつけられる楽器を作ろうと日進月歩努力していたのである。そんな製造家たちの中に、ドイツに住むブッシュマン親子がいた。
 (中略)1820年当時、ブッシュマン親子はドイツのベルリンに住んでいた。若きクリスチャン・フリードリッヒ・ブッシュマンは、父がリード・オルガンの製造過程において検音するため、一音一音口で吹くのをよく目にしていた。そんな中で1821年、父親が留守のとき、16歳のクリスチャン・フリードリッヒは15個のスチール・リードと音室をもつ、長さ10センチほどの楽器を作った。この楽器は口で息を吹き込んだり、吸い込んだりして演奏した。彼はこの新しい楽器を「アウラ」とも、「ムンド・エオリーネ」(口風琴)とも呼んでいた。現在のハーモニカの元祖である。

 
(中略)若いクリスチャン・フリードリッヒはアウラを、現在、ギターのチューニングをする時に使う調律笛と同じ感覚でピアノやオルガンの調律用に使っていた。しかし、それには片手で常にアウラを持っていなければならず、多少不便であった。そこで彼は1822年に新しい道具を作った。それは、新書判ほどのサイズの箱に、3枚ひだの蛇腹がつき、20個の調律されたリードを備えてある奇妙な物であった。蛇腹を広げ、20個の穴がついたバルブのうち、1個をあけ、テーブルの上に置くと音が自然に流れるので、両手でオルガンやピアノの調律を行うことができた。彼は、この道具に大変満足し、同じ年のある日、これを本物の楽器にしてみることを思いついた。
 彼はまず、蛇腹の端をふさぎ、引いても音が出るように、逆向きのリードもつけ、バルブをボタン、または棒状の鍵盤で操作するようにした。彼はこの楽器を「ハンド・エオリーネ」と名づけた。ハンドは手、エオリーネはギリシャ神話の風神エオルスからとった。いわば手風琴、すなわちアコーディオンの元祖であった。


 (中略)オーストリアのウイーンはよく「音楽の都」といわれるが、それはすなわち「楽器の都」でもあった。1820年には、この都市には楽器製造業が410ヵ所あったといわれており、そのうちの約310ヵ所でオルガンやピアノを製造していた。そうした数多くのオルガン製造家の中に、シリル・デミアン(1772~1847)という人物がいた。
 一説には、彼の本名はキリル・デミアノフというブルガリア系、もしくはアルメニア系の移民であったといわれている。彼はおそらく当時ウィーンに何らかの方法で渡ってきたブッシュマンの手風琴をヒントに1825年におもしろい楽器を作る。すなわちこの楽器は、現在の電子オルガンのオート・コードのように、一つのキーで和音の演奏ができるという画期的なものだった。つまり、一つのキーを押すと、和音を構成する音の数枚のリードが同時に鳴る仕組みであった。彼は1829年にこの新楽器をオーストリア王室特許局に特許登録する。
 さて、この楽器をエオリーネと名付けるのでは、もうすでにあったハンド・エオリーネ(手風琴)のモノマネで、あまり新鮮味がないので、デミアンはこの楽器を「アコーディオン」と命名した。そもそも、アコーディオンとは「アコード」(和音)と「イオン」(楽器の名称に「器」という意味でよくつけるギリシャ語の語尾)から成る合成語であり、″和音の出せる楽器″という意味である。